自分が写った写真を直視できない
僕はいつからか 自分が写った写真を直視できなくなった
卒業アルバムもほとんど開いたことがない
さかのぼれば
幼稚園、小学2年くらいまでは なんとなく写真を見ることは出来たと思う
その頃は自分は鏡もほとんど見ず 自分の顔に興味がなかった
幼稚園の頃は女子のハーフの子 と 目がくりっとした子と3人でよく遊んでた
特にハーフの子とはとても仲が良く手を繋ぎながら帰路についていた 僕らは良き友達だった
その女性は小学に上がる前にアメリカに帰ってしまい以後交流はなくなる
また 小学1年・2年の頃よく遊んでた友達の妹に 僕はなぜか好かれていた
好かれていたというより懐かれていた というほうが適切か
その頃は特に顔にコンプレックスはなく 普通に過ごせていた
変わったのは小学3年から
同級生から気持ち悪いとはっきり言われるようになり
小学4年の頃に 複数人の女性のグループから無視されるようになった
5年の頃も 気持ち悪いとよく言われた
6年の頃は はっきりと顔がブサイクと言われる
そして決定的だったのは6年の頃
ある友達と市民会館で卓球をしてた
卓球台は一つしかなく 許可をもらった人が一定時間 卓球を出来る
僕たちは許可を貰い30分卓球をする権利を得た
そしたら年寄り5人くらいのグループがこっちにきて 「俺たちも卓球混ぜてくれや」とおっしゃり
お年寄りのグループと一緒に卓球をすることになった
そのお年寄りのグループの中心人物が 友達のことを 「良い顔してるな」
一方俺に 「君はなあ・・・ 地味だなあ・・・」 と
僕は平静を装っていたが泣くのをこらえていた 今までキモチワルイ とか 顔が悪い と同級生から言われたことはあっても
知らない人から指摘されたことは一度もない それなのに見ず知らずの老いぼれに顔に難癖つけられる 特に友達と比較して貶されたので ダメージは計り知れない
傷心した
卓球も僕らの時間なのに 急にやってきて 規則破って 乱入して
その上 俺の顔の悪口 酷すぎる
それ以降 俺は「自分は顔が悪い人間だ」とはっきり自覚するようになった
中学以降、自分は顔が世界で一番悪い と 本気で思っていた
なのでブサイク芸人などをみても 「俺のほうが顔悪いのに」 といつも思っていた
ましになったのは僕が高校卒業してニートになったころからかな
外にほとんどでなくなったのが要因だろう
顔のコンプレックス度合いも弱くなった
顔に酷く劣等感を抱いていたころは 親を恨み 普通の顔になりたいと 願っていた
僕は俳優の写真を見ながら この顔に近づけたいと祈ったこともある 数週間
そしたら少しだけ顔の骨格が変化したことがある 本当の話だ
確かこれは名称がついていて れっきとした方法であるが 忘れてしまった
そして現在、思うこと
人間は顔が全てじゃない
例えば姿勢を変えるだけでも違う 猫背というだけでマイナスだ
僕は学生時代は顔が全てだと思っていたが それは僕の間違いだった
しかし大人しくて顔が悪いと苦労する
そして
未だに他人や家族と写った写真を見ることは容易ではない
直視できない